uragawa Railway

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煙の復活に向けて

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古臭さの残る砂川車輌の工場内、目映い光を放ちながら溶接の作業を行う。ここ数年で車両製造や改造の発注が増えたため、砂川車輌はパンクしつつあった。人員の面でも設備の面でも…
 

「白矢君、白矢君…」
 

何か呼ばれた気がして溶接の手を止める。よく見ると田辺課長が立っていた。

「課長、どうされました?」

 作業中に課長が声をかけてくるのは珍しかった。何かあったのではないかと少し考えつつ課長の返事を待つ。

 「いや、手が塞がってるのなら仕方ないが出来ることならその格好でいいので着いてきて貰いたい」

 「わかりました、作業は後でも出来ますので行かせて頂きます」

 課長に着いて行くとすっかり寒くなった砂川の秋空の中、本社の入り口前にコートを着こんだ社長、営業課長、土木課長、見覚えの無いスーツ姿の人もいる。

 「おお、田辺さん、白矢君まで来てくれたか」

 営業課長の鈴木の明るい声が聞こえる。

 「今から砂川機関区増設工事の視察に行く予定なんだ、君たちにも細かいことを説明しようと思ってね」

 社長がいつものユルそうな話し方でそう伝えた。なるほど、それでこの上層部が集まってるのか。そうして土木課長を先頭に機関区へと歩き始めた。
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砂川機関区は1893年に北海道炭鉱鉄道によって設置された、歴史ある道内でも有数の古い機関区だ。國鉄になってからも使われ続けたが、1975年の歌志内線の無煙化時に解体工事が始まり慌てて払い下げの打診をしたところ、残り3線と転車台をギリギリで確保したと言う。今、現存している扇形庫3線は1942年の駅構内拡張工事の時に建て直された物らしい、それまでは木造の扇形庫4線でこじんまりとしていた。國鉄苗穂機関区と同じような時期、工法で建てられたためか、構造が似通っていて姉妹庫だとよく言われている。そんな砂川機関区だったが昨年度からイベント関連で増設工事が行われていた。まだ完成はしていないが、外観はかなり形になってきている。そのうち3線は検査修繕線としてクレーンを設置することになっていた。その部分の施設は砂川車輌機関庫職場として砂川車輌の管轄になると聞く。
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土木課長の設備の話に耳を傾けていると新しいクレーン設備が目に入ってきた。従来はジャッキアップで済ましていたが、クレーンを使って作業が出来るとなると効率がよくなるだろう、そんなことを考えていると田辺課長と自分は社長に声をかけられた。

 「砂川車輌の発足から来年1月で5年になるのを覚えているかね?」
「もうそんなに経ちますか、早いもので」
「そのことでなんだが5周年記念事業として以前わが社で走らせていたSLの復元を行ってみないかね?」
「と、言いますとS-01号ですか?」
「いやいや、S-01号はボイラーから作業しないと行けないからすぐには厳しいだろう、その代わりにあれを整備してみないかね?」
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社長の指を指す方向にはデフやヘッドライトを失ったSLが停まっていた。数年前まで臨時列車として走らせたりしていた9600形だ。國鉄の無煙化後も芦別の第三坑で入換の任に就いていた最後の9600形、もっとも人里離れた露天掘り鉱山だったために鉄道愛好家すら殆ど知る人は居なかった。流石にディーゼル機関車に置き換えられたが、数年前に動態復元を行い砂川~上砂川岳温泉間でイベント用に活用していた。しかし、1年前の試運転中に土砂崩れにあい破損してそれ以来休車中となっている。

 「あれなら確かに籍が残ってますしボイラーに問題はないはずですが本当にやるんですか?」
「せっかくの5周年だ、復元してイベントを行おう」

 社長は簡単に言うが今の砂川車輌にそんな余裕が無いことは課長もわかっている、だから異を唱えたのだろう。だが、遮られてしまった。

 「わかりました、復元の努力を行います。本来の業務に支障が出ないように」
 
              ==ポーーーッ==


 甲高い汽笛の音が砂川車輌内に響く、社長による無茶ぶりから早くも2ヶ月が経過した。今日は砂川車輌の5周年記念日だったが、無事に59683号の整備は終了していた。破損箇所は修復し1からレストアしたのだった。もちろん、通常業務の合間を縫っての作業だ。倒れるんじゃないかと思うほどハードなスケジュールだった
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そのせいもあって今、この場に59683号を展示させて数年ぶりに陽の目に当てる事が出来て、今すぐにでも目に涙を浮かべてしまいそうだった。駅員から整備に配置換えされたときにはまさかここまで車両に愛着を持つことになろうとは思わなかっただろう。
人間、慣れると感じかたも変わるのだなと思う瞬間だった。発足5周年記念事業ということで社員を集めて式典を行うことになっている。

 「本日で砂川車輌が発足してから5年が経つ。自社の車両の整備や改造のみを行っていた砂川鉄道の車輌整備課が当社の起源だ。他社の車両製造などを担当するようになり、車両メーカーとしての地位を確立するために車輌整備課を分社化したのが砂川車輌だった。そこに居られる田辺課長を始めとして職員が一丸となって歩んできた結果、大手の会社さんからの発注も頂けるようになってきた。これからも是非とも頑張って前に進んで行きたいと思う。」

 社長が起源と今後の方針を述べられた。名目としては砂川鉄道、砂川車輌双方の社長を兼任しているのが久北社長なのだが、砂川車輌の実質的なリーダーは副社長の西金副社長と田辺課長だ。

 「発足5周年記念事業としてそこに停めてある9600形59683号の復元、砂川機関区の増築スペースに砂川車輌機関庫職場の設置、豊原機械工業の買収による砂川車輌豊原分工場の設置などが予定されている。もちろんそれに伴い今年は人員を増やして職員1人1人の負担を軽減するつもりです」

副社長の西金が記念事業や今後の展望について述べた。
そこで今回の式典は閉会となり記念撮影を行い解散・片付けとなった。砂川車輌という地味な部署が一般市民の目に触れるのもこういう日くらいだろうなと思いつつ来賓のお客様の誘導を行う。

 「白矢君」

 突然、声をかけられた。誰だろうと目を凝らすと目に入ったのはスーツ姿の老人、いや、白髪は混じりつつあるが老人と言うにはまだ早い。この人はもしかして…

「覚えていないかい、砂川南高校の元国語教諭の塩澤だよ。名門大学に行った教え子が地元企業に就職したと聞いてな、会えないかと思っていたが元気な姿を見ることが出来てよかった」
「お久し振りです塩澤先生、またお会いすることができるとは思いませんでした。今はどこに勤めて居られるのですか?」

そうだ、高校時代の教師だ。古典の授業で間違えると教科書でぶたれたっけ。嫌いな先生では無かったしお世話になった記憶もあるが何故突然声をかけて来たのだろう。

 「今は岩見沢の方の高校で教えているのさ、相も変わらず砂川に住んでいるがね。今度一緒に飲もうじゃないか」

そう言いつつ塩澤先生は連絡先を押し付けるように渡してきた。

 「じゃあな、これからも頑張れよ」
「ありがとうございます先生。先生も頑張って下さい」

式典で高校の教師に遭遇するとは、何か不思議な感覚だった。
何かが始まるような、そんな不思議な感覚…
 
投稿日:2017年1月30日
 
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