uragawa Railway

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保存車記事総集編

「C62 3」
 
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保存車両:北海道旅客鉄道C62形C62 3
所在地:札幌市東区北五条東13丁目 北海道鉄道技術館
製造メーカー:日立製作所笠戸工場
製造年月日:1948年6月18日
製造番号:1931
廃車年月日:1996年11月8日(諸説あり)
最終訪問日:2013年8月3日
今回の車両は1995年まで本線で客車を牽いていたC62 3です。国鉄C62形は終戦時に旅客用の機関車が不足となり貨物用の機関車が余剰となっていたが蒸気を新製することが出来ない事情が発生した時に貨物用のD52形の改造名義で新造された機関車です。ボイラーはD52から、他の部分は当時の標準旅客用機関車C59形から設計を流用し制作され、全部で49両製造されました。ボイラーはD52から転用したが早期廃車のもの以外は後に新造されたらしい。
 
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C62 3は1948年6月18日に日立製作所笠戸工場にて製造されました。当初は糸崎機関区に配置されその後、1950年8月17日梅小路機関区に転属、特急「かもめ」を牽引し東海道本線を駆け抜けました。6年後の1956年9月26日に小樽築港機関区に転属、今度は北海道の主要幹線函館本線を走ることになりました。翌年10月からは「大雪」「まりも」「アカシヤ」を僚機と共に重連で牽く姿が見られたそうです。1961年10月から特急用気動車キハ82形に譲りました。1971年9月15日の急行「ニセコ」の牽引を最後に運行を終えました。1976年3月19日に廃車となりこの大型機関車は1977年4月21日、小樽の北海道鉄道記念館(現在の小樽市総合博物館)で体を休めることになりました。10年の月日が経ち1986年10月6日、再び動くことになりました。DD16 3牽引で手宮線を通り小樽築港機関区まで回送された。そして国鉄の分割民営化を迎え、整備などを行い1988年3月3日に車籍を取り戻し苗穂工場内で復活セレモニーが行われました。同年4月29日、C62ニセコ号が運転を開始、実に十数年ぶりに本線を自力で走行しました。1995年11月3日の運転終了までその勇士を見せつけてくれました。そしてここ苗穂の地で静態保存されることになったのです。
 
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説明文は主にこの説明板を参考に書きました。
状態はさすが現役のJR工場内に屋根付きという好条件なのでとても美しかったです。実は冬季期間は庫内に保管するのに移動したり一般公開時にも動かされたり
するので部品が固着しないなどほぼ現役機の様な状態です。
 
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テンダー側はこのような感じです。
 
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C62 3のナンバープレート、栄光の印と言っても過言ではないでしょう。タブレットキャッチャーも健在です。
2009年にJR東日本が動態保存できそうな蒸気機関車をリストアップした時には動態保存の話がきたそうですがJR北海道は断り苗穂工場での保存を継続しました。
そして今年2014年にもある掲示板で復活が噂されました。噂の真偽は定かではありませんがもしC62 3を動かすなら北海道で走らせてもらいたいなと思う私はJR東日本による復活は本当であってほしくないなと思います。いつかJR北海道の経営状態が回復し北の鉄路の安全が守られた時にこの苗穂工場から羽ばたき函館本線で走っていただきたいなと思います。それまでは北海道で大切に保存し続けてほしいと思います。最後は私の考えを述べさせていただきました。
私はC62 3が動いてる姿を見たことがないのですがいつか復活する日を心待ちにしています。
車歴:1948年6月18日 日立製作所笠戸工場にて落成
   1948年6月26日 糸崎機関区に配置
   1948年7月7日 使用開始
   1950年8月17日 梅小路機関区に転属
   1956年8月31日 鷹取工場にてボイラー交換
   1956年9月26日 小樽築港機関区に転属
   1976年3月19日 廃車
   1977年4月21日 北海道鉄道記念館にて保存開始
   1986年10月6日 北海道鉄道記念館から手宮線を使い搬出
   1988年3月3日 車籍復帰、復活セレモニー
   1988年4月29日 C62ニセコ号運転開始
   1995年11月3日 最終運行
   1996年11月8日 除籍、苗穂工場にて保存開始
   2010年10月4日 準鉄道記念物に指定

投稿日:2015年12月9日

「キハ24 2」
 
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保存車両:北海道旅客鉄道キハ24形キハ24 2
所在地:札幌市北区太平三条1丁目2番35号 カークラブNORTE
製造メーカー:日本車輌製造
製造年月日:1967年4月5日
製造番号:調査中
廃車年月日:1995年8月10日
最終訪問日:2012年7月28日
今回、ご紹介するのはキハ45系最後の生き残りとなったキハ24 2です。キハ45系は国鉄が1966年から製造を開始した一般形気動車です。キハ45というのは実は2代目でその前にキハ45形(後のキハ08形)が存在しました。この車両はキハ45系の中のキハ24形と呼ばれるグループで1台機関搭載の両運転台車の酷寒地向け車両になります。
キハ24形の2番目にあたるこの車両は当初、函館機関区に配置され普通列車から急行列車まで幅広く活躍しました。末期も函館に居り車体にも「函ハコ」の表記が残っています。1995年に廃車されここに設置されました。
 
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堂々とお店の名前が描かれていますが塗装は比較的きれいです。近づくと劣化している印象を受けますが‥
扉の色が違うのも面白いなと思います。もちろん台車も残っていますが残念ながら床下機器はほとんど残っていません。実はこの車両は輸送時に二分割されています。よくみると切断ラインが見えたり雨どいが切れているのもわかります。どうして二分割したかというと輸送費を安くするためです。20mの車両を運ぶには特殊な大型トレーラーが必要になります。切断して10mにしてしまえば普通のトレーラーで運べるのでその分輸送費が浮くのです。
設置当初は「北トレイン」という喫茶店、その後はアイスクリーム屋さん、そして現在は「カークラブNORTE」という中古車屋になっていたようですが貸土地という大きな看板が設置されているので現在は使われていない様子。設置から約20年、状態が心配になります。特に現存車がほかに存在しないだけに。そして廃車の利用物件という明確な保存車ではないだけに。
 
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こちら側はなんと元の色が現役時代そのままに残っているじゃないですか!
分割した時の切断ラインがはっきりと確認できます。電気のメーターなど大きく改造されていることがよくわかります。JRマークが残っていたり幕が函館だったりと現役時代をよく感じさせてくれます。このままの場所でこのままの状態でいいので末永く姿かたちをこの世に残して欲しいと思います。
車歴:1967年4月5日 日本車両製造にて落成
   1955年8月10日 廃車、保存
 
投稿日:2015年12月8日
 
 
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撮影日:2013年8月3日 撮影場所:交通資料館
札幌市交通局10形は1918年の札幌電気軌道の開業のために24両を名古屋電気鉄道から名古屋電車製作所製の木造4輪単車を譲り受けた系列です。入線時に大規模な改造を施され原型を失っています。当初はイギリスから輸入する予定でしたが第一次世界大戦の影響で北海道博覧会に間に合わないと判断され中古車の導入に至りました。1936年までに全廃されましたが現在、交通資料館に保存されている22号は籍を保持している。
 
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22号の説明板です。22号は1901年1月に名古屋電車製作所で名電1号形として製造されました。1918年の札幌電気軌道の開業に合わせ名古屋を離れ遠く離れた札幌の地にやってきました。入線した時にすその形状が絞りのない羽目板にされ運転台はオープンスタイルから窓を取り付ける改造を施され29号とされました。1936年8月に廃車され車庫内で保管。1951年に円山動物園が開園し当地で展示されることになった。1960年に交通局に返却され6月に修復が実施され車籍を復帰、同時になぜか22号に改番されました。1977年8月の札幌市営交通50周年記念の電車パレードをはじめとして何度かイベントで走行したものの1975年に交通資料館が開館し、いつしか収蔵され車籍を保ったまま静態保存されました。
38年間、ここで過ごしていた22号に転機が訪れた明治村開村50周年、名鉄創業120周年という記念すべき時期に合わせ元名古屋電気鉄道(現在の名古屋鉄道)出身の車両を明治村に展示されるイベントが企画され2013年12月2日から陸送され大阪の車両工場で修復され2014年6月28日から札幌電気軌道入線時の茶色のカラーに塗りなおされ展示されているようです。2020年3月まで展示され交通資料館に返却される予定です。是非とも明治村にも会いに行きたいですね。
 
 
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台車は見ての通りとても古典的な構造です。
 
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車内はもちろんこのような木造です。匂いが漂いいい雰囲気です。つり革が意外と近代的なのは現役時代からなのでしょうか。走っているときに乗ってみたかったなと思います。
製造メーカー:名古屋電車製作所
製造年月日:1901年1月
車歴:1901年1月製造 名古屋電気鉄道に納入
      →1918年 札幌電気軌道に入線,29号となる
  →1936年8月  廃車
      →1951年  円山動物園に展示
      →1960年  交通局に返還、車籍復帰し22号に改番
      →時期不明 交通資料館に展示
      →2013年12月2日  札幌から陸送
  →2014年6月28日  明治村で展示開始
      →2020年3月  貸出終了予定
 
投稿日:2014年11月29日
 
札幌市交通局321号」
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撮影日:2013年8月3日 撮影場所:交通資料館
札幌市電320形は1957年5月にナニワ工機で製造されました。昭和32年製だから320形というそうです。正面の窓が3枚で他都市の交通局にも走っていそうなデザインです。1973年4月の一条線廃止とともに廃車されました。
 
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製造銘板です。ナニワ工機も今はないですね、名前を変えて会社はありますが。1970年にアルナ工機と名前を変え2002年にはアルナ車両となった。
ここに保存されている321号も1957年5月にナニワ工機で製造され札幌市電で活躍後一条線の廃止とともに廃車、1975年に開館した交通資料館に収蔵されました。
開館までの2年間は幌北車庫で過ごしていたようです。
製造メーカー:ナニワ工機
製造年月日:1957年5月
車歴:1957年5月 ナニワ工機にて321号として製造
  →1973年4月 廃車、幌北車庫にて保管
  →1975年5月 開館した交通資料館に収蔵
 
投稿日:2014年11月30日
 
札幌市交通局326号」
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撮影日:2012年7月28日 撮影場所:札幌市白石区
前回紹介した321号と同じ320形の326号です。形式の説明や車歴の説明は321号とほぼ同じなので省略します。この車両は1973年4月の廃車後、いつ頃かははっきりしませんが白石区内の会社に置かれています。遠目に眺めただけですがすごく状態がいいです。窓ガラスは破損してないしビューゲル(集電装置)も残っています。現役時代は赤帯でピンクのゴムだったようです。
 
 
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台車が残っているように見えますが実はレールを敷かれていなくて台車枠が木に載せられていて4か所ほど柱がたてられ支えています。要するに車輪だけ無いってことです。車内は内装が撤去されているらしいです。他のサイト様によると冬季はシートを被せていて丁寧に維持されているそうです。これからも末永く保存し続けていってほしいなと思います。
製造メーカー:ナニワ工機
製造年月日:1957年5月
車歴:1957年5月 ナニワ工機にて326号として製造
  →1973年4月 廃車
  →時期不明 白石区内の企業にて保存
 
投稿日:2014年12月1日
 
*当記事は旧blogの記事の再掲載です。殆んど原文そのままで載せているため、拙い文、投稿日時点の予定等が載っています。ご了承下さい。
*当記事は複数の記事を纏めて編集しています。