朝5時、まだまだ薄暗い中、高崎線の始発電車を待っていた。2015年になってから初の泊りでの旅行である。珍しく中学時代の友人と一緒に出掛けるというのもあってかあんまり暇な感じは受けない。最初に乗ったのは高崎線を走るE231系、普段から乗っているため、まだ旅という雰囲気は出てこない。
高崎駅に着いたのは7時の少し前、次の電車の席を確保したいなと思ったので高崎駅ではまったく写真を撮っていなかったようだ。115系を使用した上越線の普通電車、クロスシートを確保して着実に北上していく。色々な話をして時間をつぶしていたがまだ朝も早いのもありテンションが上がらない。そうこうするうちにいつの間にやら水上駅に到着、ドッと人が流れ出し隣のホームに停まっている新潟色の115系に乗り換える。
同行していた友人に座席を託し水上駅ホームの北端に近いところへ。ここは水上機関区があった場所である。水上機関区と言えば上越の国境を抜ける交通の要衝を支え続けた機関区です。昭和6年に開設され当初から電気機関車が配置されていました。昭和30年には当機関区の顔ともいえるEF16形が配置され黙々と働き続けました。昭和61年の分割民営化直前に水上機関区は廃止となりました。現在も跡地には転車台が存在し「SLみなかみ号」のD51などが方向転換する。前置きが長くなったが転車台周辺は「転車台ひろば」として整備され2011年に上毛高原駅から移設されてきました。その前は高崎鉄道管理局に展示されていたそうです。時間があれば外に出て見学したかったのですが乗換の合間のためあきらめました。
いい加減乗り換えようと上ろうと思いましたが駅舎側に見えるものに目が留まりました。
そうです、国鉄コンテナです。白帯がうっすらと残っていていいですね。JNRマークも薄れていますが確認できます。何よりも番号が残ってるのがうれしいですね。廃車コンテナ特有の番号の上に線を引いています。
番号はC20形コンテナのC20-6167です。1971年から1973年の間に製造された第1グループに属しています。調べてみるとC20形はJR貨物に継承され最終的には2008年まで残っていたようですね。しかも、初期の5000形から始める11ft規格から本格的に5t積12ft規格として採用されたコンテナで功績が大きい形式らしいです。どこかしかるべき場所で残していただけるといいですね。
目を逸らすととっても見覚えのあるものが‥
これも次回のリベンジ目標の一つにしようと思います。
S編成2本を繋げているのでM車が多いので力強いです。
その時代を見てみたかった‥
ここで2015年時点の旅行記は途絶えています。気が向けば続きを書くかもしれません。それにしても今は走ってない車両に平然と乗っていて懐かしいです。
*当記事は旧blogの記事の再掲載です。殆んど原文そのままで載せているため、拙い文、投稿日時点の予定等が載っています。ご了承下さい。
*当記事は複数の記事を纏めて編集しています。