uragawa Railway

限定公開用のブログです。

三井鉱山砂川鉱業所について

・沿革

明治20年(1887年):発見

明治30年(1897年):調査着手・鉱区設定

大正3年(1914年)8月:第一坑採掘開始

大正6年(1917年)5月:第二坑採掘開始

大正7年(1918年)11月:国鉄上砂川線開通

大正11年(1922年)6月:文殊坑採掘開始

大正14年(1925年)8月:第三坑採掘開始

昭和3年(1928年):奈井江炭田調査

昭和4年(1929年)6月:第四坑採掘開始

昭和11年(1936年)12月:第五坑採掘開始

昭和12年(1937年)8月:第六坑採掘開始

昭和14年(1939年)10月:第七坑採掘開始

昭和19年(1944年)4月:東山坑採掘開始

時期不明:白山坑採掘開始

昭和23年(1948年)10月:第六坑を第二坑に統合し、奥沢坑に名称変更

昭和25年(1950年)3月:東山坑閉坑

        9月:文殊坑を第五坑が統合し、文殊坑に名称変更

        12月:奥沢坑、第七坑閉坑

昭和25年時期不明:奈井江坑採掘開始

昭和26年(1951年)4月:白山坑閉坑

昭和26年時期不明:第一立坑完成

昭和29年(1954年)3月:第三坑、文殊坑閉坑、第四坑を第二坑に名称変更

昭和32年(1957年)9月:奥奈井江坑採掘開始

昭和35年(1960年):登川部内採掘開始

昭和36年(1961年)7月:奈井江坑は石狩炭鉱に

昭和40年(1965年)3月:第二坑終掘

 

・参考文献

三井鉱山砂川鉱業所「砂川概況 昭和41年4月現在」(三井鉱山、1966年)

歌志内線を走った車両たち

1988年

キハ40 176

キハ54形1両

←砂川 キハ56 100+キハ27 202 歌志内→

石炭列車(1988年3月ダイヤ改正よりDE10形へ変更)

DE10 1738+セキ

DE10  1742+セキ

DE10形+セキ(黄帯4両)+セキ8000+セキ(黄帯2両)+セキ8000+セキ(黄帯2両)

DD51 1057+セキ6883

DD51 1159+セキ

DD51形+セキ(黄帯4両)+セキ8000+セキ(黄帯)+セキ8000+セキ(黄帯)

 

1988年4月24日

「さよなら歌志内号」6両

←砂川 キハ27 200+キハ56 0 or 100+キハ27 0 or 100+キハ27 200+キハ56 200+キハ27 209

定期列車

←砂川 キハ54 500+キハ56 200+キハ27 201 歌志内→

 

スハニ6(dPCp3Xvo2pTUlsk)の写真より

砂川トラベルあさぎり編

2018年も間もなく終わりです。今年も沢山旅行しました。今年行った砂川トラベルの中で私が参加したもの(矛盾)を紹介していきましょう。

2018年の最初の #砂川トラベル は意外と遅く2月11日です。

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始まりはバスタ新宿、高速バスで奥州街道を北上します。今回の同行者はkousukeと青流です。


ではなく気が変わったのか小田急線のホームへと降りていきます。そこにいたのはらいぷら、砂川トラベルの撮影班とも言える偉大であり人権の無いマスコットです()
そこで小田急の地上ホームに入線してきたのはMSE(地下鉄のイメージしか無いのですが普通にいろんな運用入ってますよね笑)、これが本日の目的のあさぎり3号です。なんと、今年のダイヤ改正で名称が「ふじさん」に変わるとのことなので急遽、お名残乗車してきました。もっとその目的の客がいるかと思いましたが、思ったより平和で、列車名称変更の注目具合がわかります。
「あさぎり」と言えば私たちの世代だと完全にRSEと371系のイメージでしたが、今は沼津にも行かずにMSEが運行を担っています。もう少し上の世代ですと気動車だったり、SSEだったりするのかもしれません。私は静岡在住時代に何度か、首都圏や箱根に出るのにお世話になりました。馴染み深いこの列車に乗ろうと、音鉄のkousuke、以前RSEを作っていた(早く復活して欲しい)らいぷら、そしてロマンスカー初乗車の青流の3人と共に旅立ちました。

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車内ではあさぎりのプラレールを並べる輩(主に私)、床下の音を楽しむ輩、車内探索を楽しむ輩とあさぎり号を満喫します。枝豆が嫌に目にはいりますが、気にしません。JRへの連絡線を登っていく時はテンションが上がりましたね(今までは降りることが多かったので)
御殿場線に入ってからは複線路盤を眺めつつ、詳しくないメンバーに路線の経緯を説明します。雪の冠も雲の帯も見えず、雲の目隠しをした富士山を眺めつつ、あさぎりは御殿場駅へ着きます。

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御殿場駅で少し撮影した後、駅を出ます。さて、ここで問題が発生しました。その問題とは、、、

「今回の事前プランはここまで!」

全くもって、いつも通りっちゃいつも通りですが、プランが消滅しました。ここからは気ままに歩きます。何故か頂上に雲がかかってしまっている富士山を眺めながら「晴れ男の砂川が登ってきたら晴れるんじゃね?」などと不穏な会話が飛び交っていますが、そこは気にしませんの精神で乗り越えます。夏ならば登山を試みるんですがねぇ(鉄道唱歌)
御殿場と言えば、関東から程近いさわやかの所在地です。そこでハンバーグを食べて腹を満たそうと考えます。しかし、そこには長蛇の列、さわやか、侮れない相手です。時間を潰すため、更に歩き回ります。そこでBOOK・OFFが目に入った一行、我先にと店内へと入っていきます。入り口にプラレールの展示があり、期待が高まりましたが、結局何も得られず雑誌を買って撤退、このあたりでさわやかの待ち時間が6時間だと気がついたので、慌てて昼飯の場所を変更。近くにあった「丸源ラーメン」というラーメン屋に変更、あれ?なんか東静岡でも食ったような……?
空腹を満たしたあとは、適当に中古屋を漁ったり、室外機レクチャーを受けながら御殿場駅周辺のD52を見学します。屋根はないものの状態がよく見応えがありました。
御殿場駅を後にしてトンネルを出でてはくぐり、山北駅へと向かいます。
山北駅へ来た目的はD52を見るためでしたが、駅に着いた一行は早速側線に留置されていた不思議な形の保線機械に興味津々、駅舎へ着けば古い駅舎を観察し始める建築オタクの私、駅前にはレトロな雰囲気が漂い、目の前にはいわゆる看板建築が建っています。
商店街を歩いていくといい室外機や、よく分からない鉄道ショップを見かける等、本来の目的が着実に吹き飛んでいきます。以前、らいぷらと371系を撮影しに来た時に使った跨線橋を渡り、駅の対岸へ、やっとこさD52の姿を拝むことが出来ました。以前来たときよりも綺麗になり、油の匂いも漂っています。そうなんです、数年前との大きな違いは、圧縮空気で動けるようになったことなんです。ふと見るとらいぷらが動輪を観察しています。どこで覚えたのか刻印を探しているようです。お主、いつの間に刻印オタクに。

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D52見学を終えて辺りを見渡すと綺麗な風景が見えていました。「かたわれ時やな」といつも通り、青流が言います。
ちなみに山北駅はかつては機関区があり、今よりも構内はもっと広かったそうです。駅裏手のかさ上げされた土地は、確か機関区の跡地だったかと思います。峠越えの拠点駅に思いを馳せながら、山北駅をあとにします。小田急の乗換駅は松田、少し歩きますが足柄駅で乗り換えるよりマシなので我慢します。新松田駅には年代物の変電所らしき建築があり、テンションが上がります。帰ってから知りましたが松田周辺には砂利採りの線路がいくつかあったのですね。今度は巡ってみたいものです。

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さすがに暗くなってきたので、そのまま新宿へと向かうと見せかけて開成駅で下車、目的はもちろんロマンスカーNSEのロンちゃんです。ここに来たのは3回目、全ての回で隣にらいぷらが居たような気がします。一回目はテントがありましたが、いつの間にか撤去されたようで、いつでも見れるようです。賛否両論ありますが、維持できるならいつでも見れる姿なのはありがたいです。現在、ふるさと納税を受け付けているようですので皆様是非。
NSEの連接構造を見学したり、床下観察をして撤退、開成駅からは列車を乗り継ぎ新宿へ。誰かさんが途中で降りようとしましたが、夕飯がまだなので必死に阻止しました。
新宿へ着いたら、kousukeが新宿線のラストランを見たいと言い出しました。その時まで知りませんでしたが、新宿線を走っている10-000形の最後の1本、10-280Fのラストランが、幸運にも同日だったようで、さらに目的がシフトチェンジして10-280Fラストラン編になりました。夕飯は京王沿線のサイゼリアで済ませることにして、笹塚駅で折り返す10-280Fを撮影してそのまま乗車。正直、久々にラストランを見たためか、大声で叫んだりする人たちに嫌気がしたので、早めに車内に撤退。新宿駅でラストランを見送り、kousukeと青流はそのままお名残乗車を続け、本当のラストランを見届けたそうですが、らいぷらと共に二人と別れて帰宅の路につきます。
今回はあさぎり、山北、新宿線と濃い1日でした。

砂川トラベル10-280Fラストラン編お疲れさまでした!
なんかタイトルと一致してない気がしますが気にしません。

砂川トラベル甲州長野編

本来のブログ担当である青流ちゃんが不在だったためか、書けと言う圧力を感じたので久々に書いてみようかと思います。

時は遡ること7月28日、台風が関東に直撃している最中、砂川トラベル常任メンバーの一人であるらいぷらとホビーオフを巡っていた。なんかこの日は八王子市内で避難勧告すら出ていたようだが気にしません。

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横殴りの雨にやられ、楽しみにしていたRAILWARSの15巻が八王子のメ◯ブにて扱っていなかったのもあって若干萎えつつもホビオフ巡りを終わらせ、僕らの救世主日高屋に入店、グダグダと雑談していたところ、ふと長野行きたいなーって思い付いて呟いたところ、ついてくってらいぷらが返してきたのでこの旅は始まったのだ(長すぎる前置き)
2人で初めて宿泊を行う旅行だし、砂川トラベルとしても初の宿泊編となる甲州長野編が決定したのである。

急遽決定した砂川トラベル、わずか5日後(これでもいつもより長い)には始発電車で甲州を目指していた。準備期間には宿の手配を行い準備万端?と言える状態での出発だった。「夕焼け小焼け」の駅メロが耳に響いてくると、そこはもう八王子駅、らいぷらがすぐに乗り込んで来て、今回の旅行のメンバーは揃った(はずだった)。

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高尾駅に着くといよいよ旅行気分、211系や京王電鉄と普段見慣れない車両たちが目に入ってくる。自分達が乗車したのも211系、懐かしい音を響かせながら、一度神奈川県を経由して甲斐路を走っていく。最初の下車駅は勝沼ぶどう郷駅、例によって宿以外ノープランなので主催のノリと勢いで下車、中央線の本数って少なかったよね知らんけど。

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もちろん、お目当てはEF64のはずだったのだが、風景や駅舎に見とれ、例によって趣旨も目的も見失っていた。

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電車の時間など調べているわけもなく、どっかの誰か()が時刻表を見間違えたために、予定より早くホームへとあがってしまい、刺すような日差しを浴びて、暑いなかベンチで過ごしていた(ごめんなさい)のだが、時間があることが発覚したため、勝沼駅の旧ホームへと向かって足を運ばせる。思い付くまま気の向くまま、安定の砂川トラベルクオリティで、今回の旅の最初の停車駅を過ごしたのだった。

勝沼ぶどう郷駅での探索を終えて、既に再履修案件が決まったのだが気に止めることもせず中央本線を下っていくことにしよう。次に降りたのは竜王駅、もちろん降りる予定等全く無かったのだが(そもそも宿以外の予定は存在しない)、その場のノリで下車。

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竜王駅と言えば貨物取り扱い駅、協三工業のスイッチャーが可愛らしく走り回っています。自分が塗ったスイッチャーのモデルも竜王駅だったので並べることが出来ました。半キャブや大量のコンテナも居たのでらいぷらのテンションがマックス、暑いなか酷い目に遭いました。

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実は竜王駅は安藤忠雄の事務所が設計しています。これは移動途中に把握したのですが山梨県にもあるとは思いませんでした。これに関してはらいぷらはちんぷんかんぷんって感じでしたね( ̄^ ̄)
竜王駅を出たら次は岡谷駅へと向かいます。

岡谷駅に着いた私たちはまず、お決まりのレンタサイクルを借りに行きます。係員の方と話が弾み諏訪湖一周が2時間くらいとか、諏訪大社にも行ける等情報を仕入れます。もちろん、下調べ等もとよりしてるはずもないので二人とも初知りの情報ばかりです。
まずはメインの目的である諏訪湖の釜口水門に展示されているプリムスに会いに行きます。何も調べてないのでフェデラルも見に行きたいねーと雑談してるうちに釜口水門が見えてきました。

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水門の建物の下にまさかのレールを発見、気になってしまったので資料館に吸い寄せられました。資料館では得たい情報は得られませんでしたが水門のカードを配ってることに気づき、ダムカードもらうノリで訪問、職員の方がレールについても教えてくれました。なんでもこのレールは水門の点検時の予備の水門を格納しているのだとか。どうりで大きいわけです(^-^;

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水門での時間を終えてプリムスを見に行きます。プリムスは現存車が少なく非常に貴重です。塗り直したのも比較的最近らしく状態も悪くはありません。らいぷらも大喜びです。フェデラルの行き方を調べているとなかなか山の上で大変そうだったので今回はパスと判断、さて、どうしようかと考える間もなく気づいたら自転車に乗車、水門での会話でマンホールカードが貰える場所があると聞いてたので軽い気持ちで進み始めました。この後、地獄を見るとも知らずに・・・

北陸遠征2015

朝5時、まだまだ薄暗い中、高崎線の始発電車を待っていた。2015年になってから初の泊りでの旅行である。珍しく中学時代の友人と一緒に出掛けるというのもあってかあんまり暇な感じは受けない。最初に乗ったのは高崎線を走るE231系、普段から乗っているため、まだ旅という雰囲気は出てこない。

高崎駅に着いたのは7時の少し前、次の電車の席を確保したいなと思ったので高崎駅ではまったく写真を撮っていなかったようだ。115系を使用した上越線の普通電車、クロスシートを確保して着実に北上していく。色々な話をして時間をつぶしていたがまだ朝も早いのもありテンションが上がらない。そうこうするうちにいつの間にやら水上駅に到着、ドッと人が流れ出し隣のホームに停まっている新潟色115系に乗り換える。
 
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同行していた友人に座席を託し水上駅ホームの北端に近いところへ。ここは水上機関区があった場所である。水上機関区と言えば上越の国境を抜ける交通の要衝を支え続けた機関区です。昭和6年に開設され当初から電気機関車が配置されていました。昭和30年には当機関区の顔ともいえるEF16形が配置され黙々と働き続けました。昭和61年の分割民営化直前に水上機関区は廃止となりました。現在も跡地には転車台が存在し「SLみなかみ号」のD51などが方向転換する。前置きが長くなったが転車台周辺は「転車台ひろば」として整備され2011年に上毛高原駅から移設されてきました。その前は高崎鉄道管理局に展示されていたそうです。時間があれば外に出て見学したかったのですが乗換の合間のためあきらめました。
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ここまで乗ってきた115系T1143に別れを告げます。それにしても高崎し支社の115系はかっこいいですね。RAILWARSの影響もあってか115系はすごく好きです。
いい加減乗り換えようと上ろうと思いましたが駅舎側に見えるものに目が留まりました。
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この黄緑色の物体‥
そうです、国鉄コンテナです。白帯がうっすらと残っていていいですね。JNRマークも薄れていますが確認できます。何よりも番号が残ってるのがうれしいですね。廃車コンテナ特有の番号の上に線を引いています。
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番号はC20形コンテナのC20-6167です。1971年から1973年の間に製造された第1グループに属しています。調べてみるとC20形はJR貨物に継承され最終的には2008年まで残っていたようですね。しかも、初期の5000形から始める11ft規格から本格的に5t積12ft規格として採用されたコンテナで功績が大きい形式らしいです。どこかしかるべき場所で残していただけるといいですね。
よく見たら扉が開いています。こんな雪の中大丈夫なのでしょうか?それとも除雪機械とかを収納しているんですかね。 
目を逸らすととっても見覚えのあるものが‥
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これはKKJ(川越観光自動車)か?と思いましたがよく見ると「KAN-ETSU」と刻まれています。関越交通というらしいですね。とっても見慣れたカラーで親近感がわきます。
これも次回のリベンジ目標の一つにしようと思います。
水上駅での短くて楽しい時間を過ごし上越線普通列車に乗り換えます。
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ここからは新潟車両センター所属のS6編成、クモハ115+クモハ114のS編成です。
S編成2本を繋げているのでM車が多いので力強いです。
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乗った車両はクモハ115-1535、運転台の近くです。水上駅を出発、ここからトンネルが頻発します。あれ、プレート割れてません‥?
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六日町では北越急行の車両とも遭遇。ウサギのマークですか。
 
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窓を見ると一面雪景色、さすが日本有数の豪雪地帯。
 
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五日町駅に到着。あれ、ここにはサイロがありますね。セメントターミナル(株)の五日町営業所らしいです。いい雰囲気が出てますね。1年だけですが熊谷貨物ターミナルから五日町駅までのチチブセメントの専用列車が走ってた時期があったようです。
その時代を見てみたかった‥

ここで2015年時点の旅行記は途絶えています。気が向けば続きを書くかもしれません。それにしても今は走ってない車両に平然と乗っていて懐かしいです。

*当記事は旧blogの記事の再掲載です。殆んど原文そのままで載せているため、拙い文、投稿日時点の予定等が載っています。ご了承下さい。
*当記事は複数の記事を纏めて編集しています。

北海道遠征2017

23日の甲種輸送を撮りに行った次の日ですが実は北海道へと渡りました。

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23日に室蘭本線で事故が起きた影響でまさかの山線経由の特急が運行されました。丁度、私も北海道へと向かう予定でしたので乗車することにしました。しかも先頭はお座敷車のキハ183-6101で最後尾はキハ183-210のスラントっていう豪華編成でした。

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途中、いくつかの駅に運転停車をしつつ19時30分頃に札幌駅へと着きました。予定外でしたが思い出に残る旅となりましたね。JR北海道さん、丁寧な対応ありがとうございました。

昨日の山線臨時特急とは対照的にバスメインの活動をしていた日でした。

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まずはこちら、砂川駅前の停留所の跡地です。このバス停はかつて砂川駅~新十津川役場~滝川駅までを結んでいたジェイ・アール北海道バスの停留所だったものでした。2002年の廃止後は北海道中央バスに引き継がれて砂川ターミナルにも乗り入れていました。たしか2番に入っていたかと思います。中央バスに移管されたのですが2013年に廃止されて現在は地元企業のデマンドバスに代わり、再び駅前のバス停を使っているようです。

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先程少し触れた砂川ターミナルの跡地です。現在はナカジマ薬局やセイコーマート等が入っています。薬局のお隣にバスの待合所が併設されてターミナル廃止されてもさほど不便にはなっていませんでした。番線も以前より減ったので分かりやすいですし(路線が廃止されたせいでもありますが)いいと思います。1969年に建てられた砂川ターミナルは私が好きな建物の1つでした。6番乗り場まであり2009年まで現役で使用されていました。今は塀にその名残を残すのみです。私は当時の頭端式のターミナルも好きだったのですがこれも時代の流れでしょう。現在のバス停名となっている砂川市民病院も建て替えられて大きくなりドクターヘリも飛ぶようになりました。

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滝川ターミナルまでバスで移動してみました。ここも砂川ターミナルと同じく頭端式のターミナルです。ここはまだまだ現役です。1988年の建物なので1969年の砂川ターミナルと比べて新しめです。番線は8番まであります。滝川は駅前のロータリーの整備をしていますがここのターミナルにも影響はあるのでしょうか?

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ここはあまり知られていないと思いますがレンタカーの敷地の屋根部分にうっすらとJRの文字が見えます。おそらくJRバス時代の名残だったはずです。当時の資料が見つからないので困っているのですが詳しい方がいらしたら教えて頂けるとありがたいです。
この後、スーパー宗谷を使い札幌駅へ、キハ261系の0番台もいいですね~作りたいですね~←

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キハ261系と785系の親子写真を撮り、本日の宿へと戻りました。

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この日、わざわざキハ285系を撮りに行きました。まさかこの数日後にメスが入れられるとは思いませんでしたが行っておいてよかったなと思います。データをしっかりと取ることもせずに解体するのは勿体ないと思いますが現在の会社の情勢を見ると仕方ないと思わざるを得ません。
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2014年末、まだ車籍があった頃のキハ285系です。
今回の北海道遠征の一番の目的は785系の撮影でした。夏の写真は何枚もあるのでできるだけ冬って伝わり砂川で撮影しようと思い渡道、まだ整理が終わってないので目立った写真をいくつか掲載します。
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まずは苗穂駅付近での撮影、編成はNE-2でした。
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札幌駅で新作の785系のプラレールと並べてみました。編成はNE-501、今回生き残る?編成ですね。
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砂川市内で撮影したNE-3、地元のくせに撮影地の一つも知りません笑
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札幌駅でカシオペアクルーズ入線直前に来たNE-2、苗穂で撮影した編成と一緒ですね。

午前中の785系撮影を終えたあとは特急オホーツク2号で札幌へと向かいます。

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乗った車両はまさかのキハ183-104でした。毎年北海道に来ると見ていましたが乗ったのは初めてで凄く嬉しかったです。今回の改正を越えてどうなるのでしょうか?
札幌駅から会場へと向かい、線路を敷設してプラレールを並べます。

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まずはJR北海道の新型特急の並び、全て789系の金型から作っています。

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次に函館本線電車特急並び、785系は私の新作です。みっちゃんさんから顔のバランスが最高ってお褒めのお言葉を頂きました。

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他にもやはさんの14系をお借りして東武甲種風の編成にしてみたり、デキは前の青デキを塗り替えました。

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走らせ始めました。小さな会場ですが謎の感動が訪れます。ちなみに札幌での運転会?参加は初めてでした笑

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運転会終了後には最後のカシオペア札幌入線を見学、定期運用消滅後に北海道で見たのは初めてでしたが最初で最後となってしまいましたね。DF200とE26系客車の組合わせもカッコいいですね!

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その後はまつさんの案内で札幌観光、テレビ塔や中央バスの札幌ターミナルを見学しました。札幌ターミナル、すごく風情があって気に入りました。

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夕飯のために狸小路へ移動中にまさかのササラ電車、何年も札幌市電へ通っていますがササラが動いてるのは初めて見れました見れました。吊り掛けの音が響いてきました。
最後に夕飯を食べて今日の宿に戻りました。

先行研究とネタ帳

第壱 樺太

樺太の都市変遷について」

・三木理史(1999)「移住型植民地樺太と豊原の市街地形成」

・辻原万規彦、角哲、青井哲人(2017)「日比谷図書文化館所蔵の樺太・台湾・旭川の火災保険特殊地図」

・辻原万規彦、角哲(2018)「戦前期樺太火災保険特殊地図集成」柏書房国立国会図書館地図室にあり

→正直豊原や樺太全体に関しては1999年の論文がかなりまとまっている印象あり。2017年に出た火災保険特殊地図と現行のロシアが出している地図を比較する形で日本時代とロシア時代の比較をするのは面白そう。道路の拡幅や軍事施設の進出で大きな変化有り。

ひとまず国会図書館に「戦前期樺太火災保険特殊地図集成」を見に行ってから考えたいところ。

 

樺太の統治時代建築、現在の状況」

・井潤裕、越野武、角幸博、高橋学(1997)「南サハリンにおける日本統治期(1905〜45)建築の現存状況」

・角幸博、石本正明、井潤裕、松本浩二、角哲(2002)「南サハリン東部および西部の日本統治期(1905-45)建築の現存状況」

・角幸博、石本正明、角哲、原朋教(2007)「南サハリンにおける日本期の灯台の現況」

→この時点で判明している主要都市の建築の現状が述べられている。しかし、20年程経った現在の状況が気になる。近くて遠い隣国ロシアに残る日本の建築を(コロナ禍後)に見に行く人が増えれば保存される契機となるかもしれない。実際ロシアではモスクワなどのヨーロッパ圏の人が日本の建築を見に観光しに来ることもあり、保存の機運が高まっている。

 

樺太の産業と建築」

・可野 信一(1937)「樺太の石炭鑛業に對する一考察」→石炭産業

・花井 洋達(2016)「王子製紙株式会社苫小牧工場における近代化産業遺産群の紹介」→製紙産業

 ・「王子製紙社史」

 ・「旧王子技術文献資料」→紙の博物館にあり?

・辻原万規彦、角哲、今村仁美(2015)「旧樺太製糖株式会社豊原工場に 関連する建築物の図面と現況にみる特徴」→製糖産業

→この内容も建築の現状の方の論文に細かな記載あり。王子製紙関連等は現在は状態の悪化もあり、取り壊しの話も上がっている。また、この分野は鉄道との関連性も見出せるし、産業建築というくくりで他の産業との比較などが考えられる。例えば炭鉱(恵須取、川上炭山)や製糖、林業等がある。一次資料は多そうだが、思いのほか炭鉱関連が少ない。

 

第弐 産業遺産編

「北海道開拓と鉄道」

・駒木定正(2000)「官営幌内鉄道の本所移転に関わる小樽の建築(明治17年〜18年):北海道における炭鉱関連建築に関する歴史的研究 その4」

 ・駒木定正(2000)「炭鉱の建築」北海道建築士会編『北海道の開拓と建築』

→駒木先生の著作や論文などがかなりまとまっていそう。他の物を読んでみないとわからない。

 

南大東島の製糖産業」

・2017「戦前期の沖縄における製糖工場とその建設が地域に与えた影響」

→日本遺産のストーリーには無いが、大東島含めて製糖産業でまとめられそう。辻原先生の論文を元に伸ばせそうな分野。例えば辻原先生は配置図を復元して基礎資料を作る作業をしていたが、その現状調査まで踏み込んではいなかった。

 

文化財の活用方法」

・森嶋俊行(2011)「旧鉱工業都市における近代化産業遺産の保存活用過程」

・森嶋俊行(2014)「近代化産業遺産の保存と活用に関する政策的対応の比較」

 ・矢作弘(2004)「産業遺産とまちづくり」学芸出版社

・平井健文(2017)「日本における産業遺産の観光資源化プロセス」

・皆川雅章(2019)「北海道における地域の歴史公開サイトの現状と課題:デジタルアーカイブの視点からの一考察」

→まだ日本遺産に関わる内容は少ない印象。観光分野や郷土史絡みの論文が多い分野。新たなストーリーとしてまとまりそうな場所の発見や問題点、課題を見つける(?)

「産業遺産を線で結び面的な活用を図るー炭鉄港の事例を通して」

・木原佑希子、松井大輔(2016)「南砺市城端における絹産業遺産の分布及び絹織物工場の外観形態」

→直接的な参考文献ではないが、手法がとても参考になる。手始めに考えられる作業としてその産業の各段階における現存建築を抽出することが考えられる。

 

第参 鉄道編

「駅舎系」

・大内田史郎(2018)「路線全体における駅舎の保存・活用について」

・藤井耀牛(2019)「岐阜・滋賀・福井県における木造駅舎の研究」

 ・内田錄雄(1898)「鐵道工事設計参考圖面 停車塲之部」→土木学会図書館にあり?

 ・長尾篤、丹羽和彦(2004)「わが国近代における中・小規模駅舎 の標準設計について」→建築学会図書館にあり

→地元の旧・上砂川駅を実測してみたいという意味ではやりたい内容

 

「市電住宅・バス住宅」→個人的にやりたいが卒論ではやらないと思う

・事例 市電:東京、京都、大津

    バス:東京、大阪、新潟

 ・新建築2004年10月号に記載あり?

 ・西山夘三(2007)「昭和の日本の住まい:西山夘三写真アーカイブズから」創元社

→多くは戦後の復興期に単身者世帯等に供給されたもの。新潟は地震からの復興、大津は民間企業による供給

 

第肆 博物館編→プロジェクトで続行、詳細は省略

学芸員

・1991「学芸員課程の設置と学芸員の現状と展望」

・2001「博物館と建築史学」

・2010「歴史系博物館と建築資料に関する研究」

 

「建築系博物館」

・2015「公立歴史博物館の常設展示における実物大建築展示からみた展示計画のあり方」

・2017「日本における木造住宅の移築事例に関する研究」

卒論でやるなら学芸員ではなく実物展示等の建築展示について掘り下げるのはアリ

 

取り上げた論文の著者(赤字は二回以上登場する人)

三木 理史  奈良大学文学部教授

辻原 万規彦 熊本県立大学環境共生学部教授

角  哲   名古屋市立大学大学院芸術工学研究科准教授

青井 哲人  明治大学理工学部専任教授

井潤 裕   北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター境界研究共同研究員

越野 武   北海道大学大学院・工学研究科教授

角  幸博  北海道大学大学院・工学研究院教授

石本 正明  北海道大学大学院・工学研究院助教

今村 仁美  アトリエイマージュ代表

駒木 定正  北海道職業能力開発大学校建築科講師

森嶋 俊行  四天王寺大学人文社会学部講師

平井 健文  京都橘大学経済学部専任講師

皆川 雅章  札幌学院大学法学部教授

松井 大輔  新潟大学自然科学系准教授

大内田 史郎 工学院大学建築学部教授

丹羽 和彦  佐賀大学工学研究科教授